2011年2月21日月曜日

偽りの性善説

ムスコの幼稚園のお母さんたちは仲がいいらしい
保護者会で一年の感想を話あったらそんな意見が多かったようだ。
「お母さん同士で仲が良くてうれしい」 などなど

そんな意見をきいて先生がいったらしい
「仲がいいのは素敵だけども 今後はいろいろあるかもしれないし
そうでなくてはならない ということもないですよ」

たぶん言葉は違うけどそんな内容。
なるほどなあ と思った。

いままで異様に仲の良かった女同士があっという間に
絶交する という場面を少なくとも2件見ている。

「あんなに信頼してたのに・・・裏切られた」みたいな。。。

異様なというのはこのセリフが信頼 といっていながら
信頼とは程遠いものであると感じるからである。

そもそも人は不完全であり、人と付き合うのはその不完全な
ところとぼんやり交わる面もあるのではないだろうか?
そういった絶交の背景にある人間観は
「この人は こういう人」という非常に許容範囲の狭い
境界明瞭なイメージなのではないだろうか?
「あなたのことを絶対的に信頼している」
これは 他者を思いやる言葉ではなく、勝手な
メルヘンであり、幼稚であり
その「信頼している人」への愛はないと感じる。
結婚式に行くと「愛は寛容である」というセリフをよく
耳にするが、「あなたのことを絶対的に信頼している」
というセリフはある意味その真逆なのではないだろうか?


そもそも徹底した自己分析のもとに他者を完璧な
人物として信頼する というアウトプットは出てこないように思う。
信頼 というのはその対象を完璧なものとして崇めることではない。

信頼していたのに・・ などというのは
自分にとって都合のよい人物像としては完璧な対象を作り上げている
だけではないだろうか?

「仲が良くなればよくなるほどそういったリスクが
出てくる」 ということを幼稚園の先生が感じているとすれば
それほど我々の世代の親は未熟 ということだろう。
昔もおなじかなあ・・・。

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