2011年2月1日火曜日

車内にて

昨日はSCUの出稼ぎ、久しぶりに荒れたが勉強とリハビリになった。

・視床のBAD あってもいいのか?よいよね
・VPシャント後の一側硬膜下出血、 圧下げすぎ?
・NIHSSの特殊ケース(意識障害などで自動的に決まるやつ)

帰りの車内でカラマーゾフの兄弟をよんでいると脇から
吹奏楽部の女子高生と思われる二人の会話が・・・ どうやら
片方の子が他パートの練習態度、演奏の仕上がりに大層不満
らしい。 まーーあよくある話で、オケでも吹奏楽でも
その手の争いは絶えた試しがない。

自分はどうだったかなあ・・・・
なんにせよ違和感があったのはその子の剣幕の凄さ
(読書を邪魔されたのもあったかもしれないが)
坊主憎けりゃ袈裟まで・・・みたいな話になっている。
(鉛筆を譜面台にひもで結び付けてないから 演奏も最悪になる!??など)

これもよくあるケース、ここまで行ってしまうと大体その意見
自体が集団を上手く回さなくなるのでどこからか調整役がはいる
ことになる。

いろいろなことが思い浮かんだけども
とにかく怒りのボルテージを全開にして人と会話してしまうことが
常態化してしまうと、おそらく周りからのフィードバックは
なくなり(学生時代はあるかもしれないが)
いずれは裸の王様になるのだろう。

ボルテージが上がってまくしたてる人にわざわざ
反論する人はすくなくなるし、そのことがかえって
その人に周囲を見えなくしてしまう。

わが身も慎まねばなるまい。

ただ音楽団体においてはそのボルテージの上がる人
がいて、反発する人が出て、調整する役割の人が出てきて、
なんとなく時間とともにその音楽の色ができてくる。

それがあまり意識されていないことも多いし、自分も
昔は上手くて 熱心な人あつまればいい音楽になる
と思っていたが、どうもそうではなさそう と最近思う。
どうも調子のくるうVn いつも落ちちゃうOb
ハイトーンのでないTp へたにうるさい先輩
ちょっとやる気に乏しい後輩
そんな要素が「いい音楽」には必要な気がする。


これって
社会のであり、目指すべき社会の形なのかもしれない

0 件のコメント:

コメントを投稿