2011年7月29日金曜日

げふぁ

非常に削られる当直であった。 身勝手な理屈で横柄にふるまう輩
一定の率で存在するものの やはり嫌いだ。
中学生の当たりの時代 我々の世代にはまだヤンキー が存在して
幅を利かせていた。 「たまにいい人」 で上手くわたっている様子が
きらいだったし、その 「嫌い」に気づかぬふりして 器用にふるまおうと
する自分は さらに「嫌い」 と気づくのは大分後になってからのこと。

まあでもいちいち影響されててもつまらぬしたくましくやっていくのだ。

SUMON ‐ 深部覚の障害(大径線維)
純粋自律神経機能不全(pure autonomic failure: PAF)
                 = Bradbury-Eggleston症候群

舌咽神経痛 ー 三叉神経、迷走神経、にも症状が及ぶことあり。

40~60歳に多く。左側が多い。突然の激痛で持続は8~50秒 数分から数時間おきに
おこる。嚥下により誘発され、 徐脈、失神などもある。 カルバマゼピン

Issacs - 睡眠時にも持続する筋硬直、筋線維側性収縮、発汗過多

2011年7月27日水曜日

DRPLA

本社当直明け DRPLAの標本をのぞく。
小脳出力の経路を再確認。 歯状核→視床VL→皮質4,6野
→赤核→ オリーブ
→ 脊髄、網様体


腫瘍を診る機会は皆無に等しいので 手薄である・・・。

・血管芽腫 - 成人の小脳に好発
・Sturge-Weber - 孤発性、母斑は通常片側
・硬膜外膿瘍の好発部位ー 腰>胸>首

・あーこれ何度も書いてるかも
髄内腫瘍 3つ glioma ependymoma astrocytoma

・キアリの眼振 - 下向き

2011年7月26日火曜日

お昼のお勉強

的なものがなんとなく習慣になりつつあり。。


◎Freidrich は心筋障害を70%に合併する。
◎SCA1は3と比べて眼振が少ない
◎瀬川病は日内変動あり、DYT1はなし
◎Rett症候群 女児にのみ発症 両手をもみ合わせる様な常同運動
◎結節性硬化症 adenoma sebaceum (皮脂腺種)
◎Fahr病 両側性に脳内石灰化が進行する。副甲状腺は正常

◎MSは分娩後3ヵ月以内に増悪しやすい
◎Krabbeは 錐体路をやられるが、末梢神経もダメージを受けるのでNCVは落ちる

2011年7月25日月曜日

ピアノ発表会

7月23日は息子のピアノ発表会。 ピアノとステージの大きさと
息子のあまりの小ささよ。。。 まだこんなにちいさいんだな・・・
としみじみ。 よくがんばったね。





Perry-Romberg病=進行性顔面片側萎縮症

神経芽細胞腫 - opsoclonus

2011年7月22日金曜日

TSKあけ

当直明けである。しかし今日も救急当番 でも珍しくPHSが鳴っていないので
お勉強。 

AIDSの中枢神経合併症発症頻度
1、HIV脳症、2、クリプトコッカス症、3、トキソプラズマ症、4、脳原発悪性リンパ腫、5、PML

PMLがそんなに上位にならないんだなあ。。


Nipah virus
豚媒介の脳炎を引き起こす。ミオクローヌスを呈することがある。

亜急性硬化性全脳炎(SSPE)の治療法
Isoprinosine
interferon-α

色素脱失をともなった限局性の感覚脱失  →らい性ニューロパチー

孤発型CJDと変異型CJDの違い  → 変異型はPSDが見られない。

ライム病
1期 感冒様症状
2期 脳神経炎、髄膜炎、心筋炎、心膜炎、
3期 認知症、関節症状

Rasmussen脳炎 - GluR3抗体

2011年7月21日木曜日

本日のテキストより

異染性白質ジストロフィー 欠損酵素  arylsulfatase A

Angelman 症候群 UBE3Aの遺伝子異常、精神遅滞、てんかん、失調歩行、特異顔貌、突発笑い

Crow深瀬 女性化乳房

ナルコレプシーはHLA DR2の陽性所見がある

甲状腺機能亢進の振戦は 姿勢時振戦

ギラン モラレ三角の病変で出る不随意運動 口蓋ミオクローヌス

眼球クローヌス多発ミオクローヌス症候群  Ri 抗体

Unberrichit-Lundborg病 ミオクローヌスてんかん dodecamer repeat Prukinje細胞の高度脱落

Heidenhein症候群 CJDで臨床的に後頭葉症状が著明で病変も後頭葉に強いもの

単純ヘルペス脳炎の組織 Crowdy Type A inclusion

2011年7月20日水曜日

リア王

久しぶりに遠くの当直で読書が進んだ。
シェークスピアは前から読まなくてはとおもっていてようやく それが叶いました。

リア王 
やはりこれだけ読み継がれ、演じ継がれているのにはそれだけの理由がある。
ただの悲劇でなく、深い人間洞察とそれに対するシェークスピア本人の叫び
とでもいうのだろうか。 

嵐のなか叫び狂うリア
舞台芸術 というと実はよくわからないが
これは美しいのではあるまいか?と感じた。

次はジュリアスシーザーかな??

2011年7月15日金曜日

メモ書き

その音楽への理解が何かに達したとき
表現するのは メロディーなどから喚起される刹那的な個人的感情ではなく
その音楽が表現している 世界、あるいはやはり感情などとなり
自己はそのなかに溶けてなくなる

どのような理解をして どのようにとけ入るかというところに
個性がある。??

どういう作品なのか を感じて 理解して もっと砕けていえば好きになるか
の能力は 小説を読むそれに似ていて

児童小説を読む能力でも読みこなせる小説と
哲学書を読む能力が必要な小説がある。

マーラー9番を聴きながら鳥肌を立てるにはそれなりの下地と
黙ってその曲を10回くらい聞くことが必要な気がする

そこでもやはり音楽がすごいのは
そんなへ理屈は吹っ飛ばすような
どのレベルの音楽的理解能力のひとも
どの言語のひとも 感動させる可能性があるということだろう。


2011年7月12日火曜日

演奏する

夏休みも終わり がりがり仕事である 
がりがり仕事してると 逃避がしたくなる というわけで 演奏するということ

前も同じようなことを書いたかもしれないけども

全員が必死に頑張っているオーケストラはそれなりに聴きにいったら感動することだろう
だけども音楽の楽しさはそこだけじゃない。

役者と音楽家は似ているところがあると思う。
台本があって セリフを読む。

あるセリフを読む場合、役者はその登場人物人物としてそのセリフを吐くはずである
役者をやったことはないけども
その登場人物の人格、それまでの文脈、そういったことが背景にあって
その言葉が出てくるはずで、役者その人の言葉として出てしまうようなら
大根役者であろう。日本語をそれほど話せない外国人が
同じセリフを吐いても、伝わるものは完全でないだろうし、
いかに天才役者でも 「小説なんか読んだことありましぇん」という人が
ドストエフスキーの原作舞台で真実の演技ができるとは思えない。


楽譜を台本に切り替えると、
ある部分のメロディーの美しさ、リズムの楽しさ
に没入してしまっては カラオケで好きな歌を歌っている状態とそう変わらない
つまり大根役者なのではないだろうか・・・。 

さらにいかに楽器が上手くても、
「クラシックってかたくてつまんないよね」 という人がバッハを弾いても
真の感動は引き起こさないと思う。

音楽の凄さは世界共通言語であるということで
英語の話せない役者が、シェークスピアを英語で演じることは非常に困難であろうが、
英語が話せなくても エルガーの描く世界を想起することは可能である。

さっき書いたような音楽的素養の低い人間の演奏でも 完璧に譜面が再現されていれば
何らかの世界がそこに展開されてしまう。

自分の演奏はというと そりゃあもうすごく個人的な感情バリバリで
自分で書いたようにカラオケ的な要素がどうしても強くなってしまう。
だけども台本をもっと深く理解できれば、技術がそれを再現することを
目的になってくれば、ひょっとしたらもっと音楽が楽しくなるのかもしれない。

つまり 台本(譜面)をどう理解して どう作品が構築している世界を再現するか
その表現の仕方に 個性が出てくるのではないだろうか

気持ち悪いポルタメント、甘ったるい節回しで にわかの聴衆に迎合した
、それを個性と勘違いした音楽など 先が知れているのである。