2011年1月19日水曜日

知性

最近母が「あたしは不幸」と口にするらしい。
同居してくれている妹が嘆く。
確かに母は3年前に夫をなくし、14年来のリウマチで昨年手術し、
いまもリウマチの治療で内服薬も多い。

しかし孫は5人 ムスメ家族が同居してとくに
逸脱した家族もいない。
「あんたは幸せだよ」そういってしかるつもりはない。
だがしかし。

母は優等生な部類である、そこそこ成績もよく、
国家資格を持ち、最近まで働いていた。

知性とはこのようなときに「それでも幸せだ」と思える
感性と心の器を形作り、日々ご機嫌に過ごすための
ものではなかろうか?
このようなときに 不幸だ というアウトプットをはじき出す
インテリジェンスが一体なんの役に立つというのか?

長淵先生の言う
「知識と教養をふりかざす点数稼ぎの馬鹿野郎ども」
の限界がそのあたりなのか?
私の母はそんなに貧弱な知性しか持ち合わせていないのか??

とここまで書くと そんな大それたことは考えずにぼそっと
ムスメに弱音を吐いた ということなのかも と思いなおす。
ここ数年で実家にも大きな波がいくつも打ち寄せた。
母はそれを必死にたえて いますこしずつ前を向こうと
しているのかもしれない。
ミクロな視点でみればそりゃ落ち込むことも 不幸とおもうこともある。

今まで母と離れて暮らしていた妹と私は今まで見えていなかった
「ミクロな視点」が突如現れてあたふたしているのかもしれない。
そんな小波をよっこらせしながら広く俯瞰すれば前を向いているのが
正解か。

だとすれば 「まあそんなこともあるわな」とおもいつつ
見守るのが家族か?
いやしかし大変なのは妹も一緒、となると
みんなでえっちらおっちら よっこらせ。 
誰が見守られているというわけでもなく、みんなで
見守りあう。 それが家族か?

0 件のコメント:

コメントを投稿