2011年3月10日木曜日

この国の病気

東京大空襲の朝である。こういう商売をしているので実際に体験された方のお話を聞けることもおおい。生の声の迫力はやはり違う。 テレビやドラマで報道するようにドラマティックではなく。我々が
しらずに文字から想像するよりはるかに壮絶である。

昨日 都の平和祈念施設の建設頓挫にともなって その施設のために収録された
330人の体験談が公表されずにしまわれているという話をきいた。
理由は
「これらの資料は 施設での展示目的で取材されたものであるのでそれ以外の用途には使えない」

はあ・・・ 本当にげっそりだが、実際に体験した役人の働き方をみると
それも納得できてしまうから恐ろしい。

みんなですこしずつすこしずつ 「働かない」という動作をすることで
「自分はなすべきことはしている 働かないのはほかの人」
というゆるーい 満足感が充満し。 結果として全体としてはすごくもやもやした
パフォーマンスがなされる。

公表しない理由を出した人は気付いているだろうか?
自分のパフォーマンスの恐ろしい低下に。

「おかしい おかしい」とみな口にしながら
口にしている人たちが皆ですこしずつ すこしずつ はたらかない。
それに気づかずいずれ個人のパフォーマンスも集団のパフォーマンスも
低下する。

この病理は 恐ろしく深く、自分の身にも浸潤しかねない。

祖父は酔っぱらうと戦争の話か 日本古代神話の
話を始めるじじいだった。
満州 シベリアの国境の様子はじじいからたくさん聴かせてもらった。
亡くなるまで大事にもっていた双眼鏡や飯盒、剣の柄
ションベンが出るそばから固まって逆つららになるから
トイレには棒が置いてあって用をたしたあとそれを棒で
がしがし倒すのだとか。

入院患者さんから戦争の話を聞くのはもう習慣になっているが
どれもとても大切なお話である。
もっとたくさんの人がその大切な話に触れる機会を都が持っているのなら
なんとか公表してほしい。

0 件のコメント:

コメントを投稿