ピアノがうるさいと苦情 もうしわけない。
苦情は大家さんへ行き、大家さんから当方がそれをきくので
どこから出たものかはわからない。
さて 申し訳ないが考える。
不快を表明し、それに対し言われたほうが対応する。
通常の流れだ。
しかしピアノを弾けなくなる、息子は快楽を奪われるわけでそこに
不快が生じる。
ピアノがうるさい不快 = ひくのをやめろ = 弾くのをやめるのが不快
これは不快のやりとり。
なんでこうなるのかというと そこに直接のやり取りを行わず
大家さんを介しているから。
どの程度不快で どのようにすればよいのか話合わないと解決しない
「ピコん と音が聞こえただけで不快なんじゃー
金輪際一音も聞こえたらあかんで!」
というヒステリックな人ならばもうどうしようもないしそれなりの対応もある
でもたぶん多くの人は 「この時間ならば」とか
「この音量ならば」 とか
つまり 弾く 弾かないじゃなくて 程度の問題があるはずだ。
大家さんを通せばたしかに 上記したようなヒステリックな方と
コミュニケーションをとる必要はないし、向こうも
こちらから攻撃的な反論をうけるリスクを回避できる。
しかしながら そこまでヒステリックな人はレアケースであろうし
(そういうケースばかりが話題に上るからそうは感じにくいが)
どうも「クレームが増えることを回避する」 という体質が我々自身の
中にも巣くっている。
できるだけ誰にもあまり文句を言われないように作ったシステム、作品、は
あまりろくでもないものが多いような気がしている。
成熟したコミュニティーとは 「集団内におけるクレームを最小化したコミュニティー」
ではないのではないか??
一方の不快を減らすことで 一方の快楽も目減りする。
それは仕方のないことだけども
ここでも「程度の議論」 岩田のアニキがいうそれが肝になるのではないだろうか??
ここまで書いて考える。
結構できる大家さんだ。
ひょっとすると 苦情の主はすでにそうしたヒステリックなお方で
当方を慮り、こうした対応をしてくださったのかもしれない。
難しいなあ
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