一夜にしてバッハの無伴奏パルティータ、ソナタ全6曲を弾き切るという
昨年のコンチェルトリサイタルに続いて満を持しての企画。
自分が弾くわけでもないのに、なにやら戦いに挑むような心境で仙川へむかった。
17時30分開演で終演21時 その間舞台上で一人バッハと対峙する。
そもそもバッハとの対峙であるのか? 自らとの対峙であるのか・・・。
全曲をとおしてCDを流したことはあっても 真剣に全ての曲を聴き切ることすら
初めてであることに気づく。 ソナタ1番のフーガ、 パルティータ3番のガボット、
パルティータ2番の シャコンヌなどはその曲自体を何度も何度も聴きこむことはあっても
その他の曲をじっくり聴くことはそれほどなかったかもしれない。
先生の演奏は静かに熱く。天上の星がそこにあるべきところに
在るがごとくの音 その一つ一つとまるで契約を交わしていくような、真摯な音楽
会場の打ちっぱなしのコンクリートがはるかな無限の
広がりに感じた。以前聴いた暖かなバッハとは違う、大きく深く、時に峻厳なるバッハ
一つ一つの曲の個性が引き立ち、6曲そろって完全な一つの
作品であると 実感できた機会となった。
3番のソナタが鳴っている時、会場がなにやら熱をもった無になっていくような
不思議な感覚を覚えた。 先生のつくる世界が会場を巻き込んで 高い次元の
共有がなされる奇跡。
ベートーヴェンやチャイコフスキーには感情移入の余地があり各々の個性があるが
バッハはある一つの真理に向かって収斂していくのではないか
そんな素晴らしい文章がパンフに添えられていた。
バッハには究極の演奏がある そういう事ではないと思う。
いつしかバッハについてこう思った。
「この先 物理化学、宗教 哲学、が進歩を遂げ、この世界のことを今よりも
はるかに正確に 記載することがあるかもしれない。
しかしバッハの音楽にはすでにそれらも記載されている。」
そんな無限の広がりとふかさと包容力、それがその場に展開されること
バッハの演奏の目指すところはそこなのではないかと思う。
さらなる高みへ向かう先生の音楽を聴きつつ
いつもより深く自問をする。
自分も変化を求めて 医療と真摯に向き合う。